嫌なことに対応できる人と文句を言い続ける人の例え。

こころの深層

こんにちは、D.Cozieです。好感度の高い有名人が、不祥事を起こしたあとに叩きまくる人がいます。自分にとって不快なことが起きたとき、どのように対応をするのか。叩く人と叩かない人の違いについて、考えてみました。

掃除ができる人と、掃除するよりも文句を言ってしまう人

目の前にゴミが落ちているとします。どう対応するかで、その人の性格やストレスへの対応能力が分かる場合があります。たとえば、次のような対応のパターンがあります。どれを選ぶでしょうか。

  • ゴミを拾って片づけて、すっきりする。
  • そのままで放置する。
  • そもそもゴミが落ちているのに気付かない。
  • 「こんなとこにゴミが落ちている。だれがこんなことしたんだ」と文句をいい続けて、止まらない。
  • 「このゴミは誰か私に対して嫌がらせをしているかもしれない」と不安になる。

こころの健康からみると、上の3つはそんなに問題にならないことが多い。でも下の二つ。こころがしんどくなるタイプの人かもしれません。

というのも自分のこころにとって、しんどいことが起きたとき、どのように反応するか。それが、こころの健康に大きく作用するからです。

しんどくても何とかやっていける。

しんどいことが起こったとき、しんどいことについてどのように対応できるか。
その観点からみると、5つの反応タイプから、それぞれの違いがみえてきます。

ゴミを拾って片づける。
しんどいことがあったら、自分で対処する。しんどいことを無くすことができる。

そのままで放置する。
しんどいことがあっても、あまり動揺せずに置いておくことができる。
しんどさの原因が解決しないことはあるけども。大きくしんどくならない。

そもそもゴミが落ちていることに気付かない。
しんどいことであっても気付かなければ、しんどくはならない。
普段生活していても、ストレスになるような出来事の多くは、こうやって済んでいきます。

「こんなとこにゴミが落ちている。誰がこんなことしたんだ」
実はこのタイプの方は、自分でしんどさに対処ができていない可能性があります。
自分のしんどさの原因に対して「文句をいう」だけで、なにもできていない。
当然、言っているだけではゴミはなくなりません。だれかが片づけるまで待つしかない。
でも、そんな人が現れないことは多いので。結局、文句を言い続ける。

「このゴミは誰か私に対して嫌がらせをしているかもしれない」
そのゴミが、自分にむけられた嫌がらせなのか、判断は難しいし、証拠もないかもしれない。
けれども、しんどいことがあると「私が悪いのかも」「誰かが悪いのかも」とすぐに誰かのせいにする。

このようなタイプに分けられます。

他人を責める人ほど、自分が追い詰められていく人生

ゴミを片付けるかどうかで性格傾向が見えてきます。自分にとって嫌なことが起きたときに、どう対処するか。これが人生の中で、大きな影響を与えます。

嫌なことが目の前にあるとき、自分のなかで「誰かが原因」という原因探しをしてしまって、しんどさが膨れ上がる。現実として「ゴミを片づけたら終わる」のに、終わることができない。こういうタイプの人は片づけたあとでも、ずっと「また何か悪いことがあるかも」と不安になります。

これは失敗した人や不祥事を責め続ける人にもあてはまるパターンではないでしょうか。

たしかに不祥事を起こした人をみると嫌な気分になるかもしれない。でも、その人を責め続けるとき、「不祥事を起こした嫌な人」を放置できない気持ちになっている。いいかえれば、自分の中にある嫌な気持ちを掃除できなくなっている。

そうなってくると、当然ながら普段の生活のなかでも「嫌な気持ちが掃除できなくなっている」。そうなると、結構考えさせられてしまいます。

他人を責めているとき、実は責めている本人のこころも穏やかでなくなっている。自分の人生のなかで上手くいかない原因となる「嫌なこと」をなんとか解消しようとしているけれども、上手できない。それで余計に悩む。

厳しいコメントで責められる方々も辛いのですが、案外、責めている人も辛い気持ちを普段持っている可能性がある。そう考えると、事態はなかなか複雑です。