こんにちは、D.Cozieです。
今日は「自分と性格が合わない人とつき合うときの気持ちの乗り越え方」を話したいと思います。
嫌なことは嫌とはっきりいうのは難しい。
性格が合わない人とどうしても付き合わなければならない。
仕事をしているとこんな情況がけっこうあります。
職場の上司とか、同僚とか。得意先の人とか。
友だちやクラスメイトだったら話すのを避けたりできるけど。
職場で出会う人となると避けるのがはなかなか難しい。
嫌な人とどうしても付き合いが必要なときには「嫌なことははっきり嫌といえばいい」という意見もあります。
たしかにそれは正しいけれども「はっきりいうなんて無理です」という人も多い。
相手を遠ざけたいのだけれども、遠ざけることができない。だから悩みます。
どうしたらいいのでしょうか。
相手は自分のこころを映す鏡。
他人は自分を移す鏡といわれます。たしかに自分と似ているなと思う人であれば納得ですが。
実は自分が「嫌でたまらない」と思う相手ほど自分のこころを映している。
認めたくない内容ですが。
ある例をあげます。
ある人が職場の同僚が嫌いでたまりませんでした。何が嫌いなのか聴くと。
「あの人はどんな人に対しても、モノスゴク上から目線でモノをいう。私はあんな態度は嫌いだ」
そんな理由だとします。
苦情を訴えている人の事情を確認していると。「苦情を訴えている本人」にも上から目線で話す傾向がある。
他の人よりも上の立場でいたい。
そう思っているからこそ、他の人が自分より上の立場になろうとするのが許せない。
「上から目線でモノをいう」
それが嫌な同僚のことと思っていたけれども実は「自分自身の影を映し出した姿」。
こういうことがよくあります。
影を通して自分を知る。
自分にとってどうしても苦手で嫌な人。そんな人が出てきたらどうすればいいのか。
「私にもそういう嫌な部分がある」と自分で認めるのが大切です。
なかなか認められませんが。
自分にとってどうしても苦手で嫌な部分が見つかったとき、なぜ苦手なのかを必死で考える。
そのあとに「私にも似た部分がないだろうか」と探してみる。
「たしかに私にもそういう部分があるな」と認めて納得する。
これだけで充分です。
ホント苦労します。自分の嫌な部分を認めるのって。言うのは簡単だけど実行が難しい。
「確かにその通りだよね」と納得する部分を増やしていくと。
嫌だった相手が「なんとなく前ほどは苦手でなくなってくる」
そういう状態になります。
気持ちが変わると、つき合い方も変わる。
自分の嫌な部分を相手にもあるのをみつけて嫌いになっているとき。
自分の気持ちを整理できたとしても、相手を好きになるわけではありません。
でも。嫌いだけど気持ちの距離をとっていられる。
そんな感覚になります。
気持ちとして距離をとれるようになってくると「会うのは嫌だけど仕事上の付き合いはしかたない」と妥協できるようになる。
ここまで到達するのが目標です。
無理に好きになる必要はない。
自分の嫌な部分を相手に写している。
それをもう一度、自分に引き戻して考え直す。
影との闘いといいます。なかなか大変ですが。
これができたときには、こころが大きく成長します。