人生を決めるのは生まれか育ちか?こころからみた能力主義。

こころの深層

こんにちは、D.Cozieです。

今日は「人生を決めるのは、生まれか育ちか」について考えたいと思います。

生まれ持った能力はどれだけ人生に影響する?

これはなかなか難しいテーマです。

とりありえずは、生まれ持った能力という点から考えます。

カウンセリング場面で会う人の中に、
なんらかの事情で、いわゆる体やこころの能力が、
一般平均よりも低い状態にある人がいます。

自分では一所懸命にやっても、ほかの人と比べて仕事や勉強が遅い。
文章が書けない。計算が全くできない。運動が苦手。

しかも能力そのものを高めるのが難しい場合もあります。
厳しい現実ですが。

カウンセリングでは、いろいろな状態の人と会います。

身体の障害があったり。
こころや脳の機能に障害があったり。

そんな人と出会うと。
「普通に生きる人生ってなんだろう」と考えます。

能力が一般平均と比べて低い人はどんな人生を送ってきたか。

ほかの人比べてできないことがあると。
「かわいそう」といわれる場合があります。

ときには「なんでこんなことできないんだ」
叱られることもあります。

最近よくある情況としては。

人とコミュニケーョンが上手くいかなかったり。
仕事や勉強で、小さなミスを繰り返したりしてしまう人が、
「あの人は発達障害だ」と批判的なニュアンスでいわれたりします。

そういったことを繰り返しいわれてきた本人は。
「私はダメな人間だ。結局、世間では能力で人間の価値を判断されるんだ」

そんな思いを抱いて生きている人もいます。

「能力があるか、ないか」

それにこだわって人生を送る人もいるでしょう。

能力が人生をすべて決めるわけではないかも。

「能力が人生のすべてを決めるわけでもない」
これに気付くまでは、ものすごく大変だったりします。

というのも、「能力が他の人よりも、劣っているかもしれない」
という評価をたくさん受けてきた人ほど。
「人生は能力によって全部決まる」と強く思い込んでいます。

でも、あるとき「人生を決めるのは能力だけじゃないかも」
気付く場合もあります。

確かに能力だけをみると、どうにも変えられない部分がある。
でも今、現時点で生きているってことは、
これまでの人生、なんとかしてきたのかもしれない。

乗り越えた人の多くはいいます。

能力面の低さはどうしようもない部分はある。
でもそれだけで自分の全てを決めるわけではない。
けれども、他人と比較していてばかりだと身動きとれない。

自分ができることだけをしていく。

それしかないのだと気付く方がおられます。

自分が守って来た大切な部分がある。

カウンセリングでは「どこが問題か」も大切ですけど。
「その人が人生のなかで、何を大切にして守ってきたか」をみます。

守ってきた大切なことの中から、
「実は私はこんなことができた」ということ見つける。

そうなると能力というのは大切な要因であるけれども。
それだけで全ては決まるわけではない

それよりも。
「自分が何を大切にしてきたのか」
これが人生を大きく決めるのではと思っています。