こんにちは、D.Cozieです。
今日は残された人の罪悪感について話したいと思います。
残された人の罪悪感とは。
いわゆる有名人が突然の死を迎えたとき。
こんなコメントがあふれます。
「私はあの人に何かできることがあったのでは」
「私が生きているのが申し訳ない」
事件や事故で大事な人を亡くした。
災害で多くの人が亡くなったのを見聞きした。
そんなときに出てくる「私が悪い」という思い。
これをサバイバーズ・ギルトといいます。
残された人の罪悪感です。
身近な人を亡くしたときほど出てくる思い。
この「罪悪感」は全く知らない人が亡くなったときよりも、
自分と「自分と関係がある人」が亡くなったときほど強く感じます。
それは相手が亡くなることが、
自分の一部分が失われたような感覚に、
なるからかもしれません。
相手を失ったのと同時に、自分も何かを失った。
そういった感覚です。
亡くなったことに対するコメント。
有名人が亡くなったとき、その当人とあまり交流のなかったはずの人が、
「とても辛い思いです」とコメントする場合があります。
それはコメントする人が、亡くなった人について、
「なんか深いつながりがある」
「自分と共通点があるのでは」
「亡くなった人の思いが、少しわかるような気持ちがする」
そして「私も何かできるのではないか」という、
償いと弔いの思いが出てきて、コメントをするのかもしれません。
残された人の罪悪感からの回復。
強い罪悪感を抱いているとき。
「自分だけが、こころを回復させるなんて、亡くなった人に申し訳ない」
そういう思いが出てきたりします。
でも、失ったことを失ったままにするのは、逆に申し訳ないかもしれない。
罪悪感からの回復は、失われたことだけに思いを馳せるのではなく。
残されたことを見つけるときに始まります。
亡くなった人の思いが今も、他の人のこころのなかで生き続けている。
そういう命のつながりもあるかもしれない。
そのことに気づき始めたときに、ようやく気持ちが変化し始めます。
喪失からの回復がはじまる。
失われたことを回復させるのはとても難しいです。
場合によっては不可能かもしれません。
失われたものは戻ってこない。
それよりも、失われずに残っていることを探す方が、
まだ可能性があると思います。
亡くなった人に思いを寄せるとき、
その人が生きていたときに受け取った何かを思い出す。
実際に残っている映像や画像。
その人に関して、思い出す些細な出来事。
その人から直接または間接的に受け取った思いや感情。
振りかえると、色々と出てくると思います。
その受け取った何かを自分の中できちんと守って持ち続ける。
もしかしたら、亡くなった人に対して出来るつぐないとは、
残してくれた何かを守ることではないかと思います。
それが罪悪感を良い方向にむけるきっかけになると思います。